日本の恐ろしい風習4選

 

日本は今でこそ平和だがその昔恐ろしい風習がいくつかあった

今回は実際にあった日本の恐ろしい風習を紹介していく

 

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村八分

聞き馴染みのある言葉ではあると思うがこの村八分の歴史は深い。

江戸時代からある村社会においての制裁の一つ。

村のルールに背いた人物またはその家族などに行われる制裁で、村民との一切の交際を絶ち切られ孤立させられる

助け合うことで成り立つ村社会での村八分は非常に生活しづらく引っ越しする者もいた。

村八分されるのは村での生活に馴染めないような移住者が多かった。

これは昔実在した風習とは言われているが現在も一部集落では行われているようだ。

 

 

 

 

・夜這い

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夜中に成人男性が女性の寝床に忍び込み襲うというもの。

夜這いは全国的に実在したという風習である。

夜這いされる女性は未婚・既婚関係なかったが、一部では未婚女性のみなど集落によってルールは違う。

女性は村の共有財産であり夜這いは当たり前のこと、寝るときに鍵をかけるなんてもってのほかという考えが集落に根付いていたとか。

ちなみに夜這いの語源は男性が女性を呼ぶ→呼ばう→夜這いだそう。

 

 

・おじろくおばさ

おじろく(男)おばさ(女)は長男以外を奴隷のように扱い死ぬまで働かされるという風習である。

これは20世紀まであったとされ、昭和に入っても約3人ほど存在していた。

物心つくまでは長男と同じように育てられるが次第に長男には従うべきという教育を身につけさせられ、死ぬまでただただ無償で働かされる

これが主に行われていたのが長野県の南信地域。

貧しく上の子以外を養う余裕がなくこのような制度ができた。

長男より下の子は嫁いだり養子に入るなどしない限り世間からの交際を一切禁じられ一生戸主のもとで働く

家庭内地位は戸主の妻子より低く、自身の甥や姪にも下男として扱われたそう。

そして戸籍には「厄介」とだけ記される。

楽しいと思うこともなければつらいと思うこともない。

人と接することもなく、笑うことも怒ることもない。

この制度に不満を持つわけでもなく、ただ働く。

言いつけられたこと以外は何もせず、無口無表情のロボットのような人間性に変り果てる人権を無視した風習である。

 

 

 

・おっとい嫁じょ

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鹿児島県の大隈半島の一部地域で昭和34年まで実際にあった風習。

結婚に同意しなかった女性を強姦し、無理やり結婚させるというもの。

当時は現在よりも女性の貞操観念が強かったため、強姦され傷物になると嫁の貰い手がなくなってしまうことがこの風習の要因である。

そのため強姦された女性は仕方なく犯人と結婚することになる。

おっとい嫁じょの語源は、鹿児島の方言で「おっとい=盗む」

嫁じょは花嫁のことであり、つなげると「嫁盗み」ということ。

この風習を世間に大きく知られるきっかけになった事件がある。

 

「おっとい嫁じょ事件」

1956年(昭和34年)鹿児島県肝属郡串良町

事件の主犯となったのは地元の青年であり、その親類である男性2名も犯行に加わった。

青年には思いを寄せる女性がいたが何度結婚を迫っても断られていた。

女性のことが諦めきれない青年は「強姦をしてでも結婚をしよう」と決意する。

親類2人を協力者とし、女性に再び結婚を迫り承諾しない場合は3人で強姦をするという計画だった。

 事件当日、3人は女性をタクシーに乗せ近隣の食堂に連れ出し結婚を説得する。

だが案の定拒絶され、計画を実行する。

3人は女性を家まで送ると言い再びタクシーに乗せるが行先は女性宅ではなく3人の手配した知人の家。

途中で気づいた女性は降ろしてほしいと懇願するがそのまま知人宅へ。

女性は強姦され全治5日の怪我を負わせた。

3人は風習に則って実行したため、これでじきに女性とその家族が青年のもとに訪れ結婚が決まるはずと考えていた。

しかし訪れたのは警察だった。

女性が被害届を出し、3人は強姦致傷の容疑で逮捕されてしまった。

当然ながら青年と女性は結婚することなく終わった。

 

裁判にて青年側の弁護士は「無罪」を主張した。

おっとい嫁じょという風習が青年にとって普通のことでありそれが違法という認識がなかったからだ。

地元ではその青年の家族から学校の校長までおっとい嫁じょは昔から伝わる風習であり悪いことではない情状酌量を求める動きもあった。

その結果3人には懲役3年という判決が下された。

 

この事件がメディアで取り上げられおっとい嫁じょは全国に知られることになりその違法性からこの風習はなくなったと言われている。