【サイコパス】日本の死刑囚の最後の言葉【殺人鬼】
日本における法定刑のひとつには「死刑」が存在する。
これは極刑であり囚人は自らの死をもって罪を償うものとされる。
今回はそんな囚人たちの最後の言葉を紹介していく。
1.「グフッ」 麻原彰晃(松本智津夫)
まずは記憶に新しいであろう麻原彰晃(本名:松本智津夫)元死刑囚。
オウム真理教元教祖であり、日本中を震撼させた地下鉄サリン事件の首謀者でもある。
2018年7月6日。麻原元死刑囚の死刑は東京拘置所で行われた。
死刑当日の朝、麻原はいつも通り起きて朝食をすべて食べ終えたころ刑務官に死刑を告げられた。
教誨室(遺書を書いたりお茶やお菓子が食べられる部屋)に連れていかれ刑務官から遺体や遺品の引き取り手について尋ねられると、それまでずっと黙っていた麻原はボソッと「四女」と答える。
麻原「四女」
刑務官「四女でいいんだな?」
麻原「グフッ」
これが麻原の最後の言葉となった。
麻原は暴れたり抵抗する様子は見せなかったという。
2.「あのビデオまだ途中だったのにな」宮崎勤
1988~1989年にかけて発生した連続幼女誘拐殺人事件の犯人。
4歳~7歳の計4人の幼い女の子が誘拐の末殺害される痛ましい事件である。
宮崎は1人目の被害女児Aちゃんの自宅に遺骨を送り、後日偽名を使いAちゃんの自宅と新聞社に犯行声明文を送った。
さらにAちゃんの葬儀後には告白文を送り、その内容は「殺人罪の公訴時効まで逃げたい」などと書かれていた。
宮崎は5人目の女児を誘拐し猥褻な写真を撮影しているところを現行犯で捕まる。
そうして2006年1月に死刑が確定。
東京拘置所に収監され、宮崎は絵を描いたりビデオアニメを見て過ごしていたと言われている。
執行を言い渡された宮崎は暴れる様子はなく
「あのビデオ、まだ途中だったのにな」
とだけ言い残し、2008年6月17日に死刑が執行された。
3.「思い残すことも言い残すこともありません」小林カウ
戦後初の女性死刑囚であり、ホテル日本閣殺人事件の犯人。
栃木県塩原温泉郷のあったホテル日本閣の経営者である生方鎌助(53歳)とその妻・ウメ(49歳)を殺害し埋めたとされ1961年、共同で経営していた小林と雑役・大貫光吉が逮捕された。
小林は逮捕後元夫も殺害したことを自白。
1970年6月11日死刑執行。
「長い間お世話になりました。思い残すことも言い残すこともありません。」
潔さを感じるような言葉を残し小林の死刑は執行された。
生前こんな言葉も残している。
「捕まったということは事業に失敗したことと同じ」
3人も殺害しておきながらこの言葉を言い放った小林に日本中が震撼した。
4.「死を受け入れる代わりに反省の心を捨てました」尾形英紀
熊本男女4人殺傷事件の犯人。
尾形は愛人であるAとその友人のBと共に計4人の男女を殺害。
Aは風俗店店長の鈴木秀明の部屋に出入りしており、尾形とも愛人関係にあった。
2003年8月18日、尾形が仕事を終え帰ろうとするとAからファミリーレストランに呼び出される。
そこにはAとその知人のBもおり、尾形はそこでかなりの量の酒を飲む。
Aは「鈴木にレイプされそうになった」と話すと尾形は激怒し、包丁を持って鈴木のアパートに向かう。
3人は鈴木を刺殺。すると騒ぎを聞いて駆け付けた知人女性のCと同アパートのD、Eに犯行を目撃されてしまう。
「見られたからには殺すしかない」とその3人も殺害。
同年8月21日に逮捕。続けてA、Bも逮捕される。
2007年4月26日尾形に死刑が言い渡され、2010年7月28日死刑執行。
最後の言葉は「死を受け入れるかわりに反省の心をすてました。」
尾形は「将来のない死刑囚は反省など無意味」とも語っている。